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クロアチア旅行記 Day2

Day 2
〜冷静と情熱の間〜

 8:00
ホテルをチェックアウト。
初のウィーン上陸、本来なら昨日夕方には現地に着いていたので、事前に調べておいたバスに乗り、国立図書館やらチョコレートやらあわよくば音楽鑑賞など何か出来ないかしら、とウキウキしていたのはもはや遠い昔。さらばウィーン。

とかいいながら徒歩5分で空港到着。ホテルと空港が近くて便利。
さて、一晩たって荷物は出てきただろうかと、少々の期待を胸にLOST&FOUNDセンターへ。
カウンターは到着ゲート側なので、当然空港ロビーから直接はいけない。
後ろの職員用出口らしきところにあるチャイムを押して、職員に説明して職員通路からカウンターへまわる。
昨日受け取った紙一枚の発行書を持ち、荷物はどうか問い合わせた結果…

まだ見つからず。
オーストリア航空からオンライン確認できると言われただけで、荷物の行方は露知れず。
もはや止むなし。旅は続くのだ。
ドゥブロヴニクが到着地である事を考え、向こうへ荷物が行ってる可能性も十分あると考えて、ウィーンを後にする。

 10:20
若干迷路の様なウィーン空港で遠い遠いゲートまで歩き、ドゥブロヴニクへ向けて離陸。

 11:45
寝て起きたら到着。はやっ。
タラップを降りると目の前にあるのは小さな空港。
ドゥブロヴニク空港はかなりこじんまりした空港だ。田舎の小さな空港、って雰囲気。

そんな事を思いながらも、見つめる先は飛行機から出される荷物達の群れ。
次々と飛行機から出てくるその群れの中から、当りクジを探す様にしげしげと眺める。

そして突然、歓喜する相方
そう、相方の荷物が飛行機から出てきたのだ。
一方我がバックパックは…

最後の荷物を見届けて、ジ・エンド。

隣で喜び乱舞する相方、を見つめつつ、これが冷静と情熱の間か…と一人しみじみする。
気持ちをを切り替えて、とりあえず入国。

ところでクロアチアは美人の国としてその方面では有名である。
空港から、噂違わぬ美女ばかり。なんだここは。美人しかいないのか。
そう思うほど、女性職員が多く、かつ美人。むはー。
ちなみに相方に言わせればイケメンばかりのようで、クロアチアの顔面偏差値は高いようだ。

美女のおかげで荷物がないというダメージを徐々に受け止められ、温かな気持ちで一応LOST&FOUNDセンターに寄っておくことに。
あまり期待をせずに受付のおばちゃんに聞いてみると、なんと今日の午後にドゥブロヴニク空港に到着するとのこと!なんですと!
ホテルに持って来てくれるのか聞いてみると、そうしてくれるという嬉しいお知らせ。
ウィーンで言っておいて良かった。
つかえたものが消えると、一気に気持ちが晴れやかになる
現地調達も良いけど、やっぱり荷物は戻って来てほしいもの。

 12:30
空港から出るシャトルバスに乗り、市内へ向かう。35kn.
kn=クーナ で、クロアチアの通貨。
(実はこの日の夜まで通貨についてある勘違いが続く事になるのだが、それはまた後で)
しかし空港にはほんと何も無い。

 13:00
市内に向かうバスの中で次第に見えてくるドゥブロヴニクの旧市街。
“アドレア海の真珠”とも称されるほど美しい街並みが徐々に見えてきて、テンションも上がってきた!
ここで、ドゥブロヴニクを簡単にご紹介しておく。

ドゥブロヴニク旧市街

ドゥブロブニクはクロアチア南部、 アドリア海に面した小さな港町です。アドリア海の紺碧を背景に白壁とオレンジ色の屋根が連なるその街並みは「アドリア海の真珠」とも称されるほどの美しさで、多くの人々を惹きつけてきました。中世には海洋交易によって都市国家として繁栄したドゥブロブニクは、高さ25メートルもの強固な城壁に守られその美しい姿を長きに渡り留めてきました。そして、1979年にはその歴史的価値が認められ世界文化遺産として登録されます。
しかし、1991年以降のセルビア・クロアチア内戦により甚大な被害を受け、同年、危機遺産(危機にさらされている世界遺産)として登録されることになりました。現在は、ドゥブロブニクの人々の懸命な努力により元の美しい街並みに戻りつつあります。
アドリア海の美しく小さな真珠は、歴史の重みのみならず、戦争の愚かさや故郷を愛する人々の絆を私たちに教えてくれる世界遺産でもあるのです。
日本旅行より

バスは旧市街入り口にあるビレ門付近に到着。
観光の拠点は大体ここからとなる。

ビレ門

ドゥブロヴニク旧市街へのメインゲート。ほとんどの旅行者がこの門から旧市街巡りの旅へと通り抜けてゆきます。14世紀から16世紀にかけてラグーサ共和国(現ドゥブロヴニク旧市街)の内門と外門とで構築されたこのピレ門には、かつて海側と山側からの敵の攻撃を防ぐために堀には木製の跳ね橋があり、毎日夜には橋を跳ね上げて鍵をしていました(堀は現在は水はありません)。
現在の内門と外門のアーチの上には、左手にドゥブロヴニクの町を乗せたこの町の守護聖人・聖ヴラホの彫刻がこの町を守っています。内門の彫刻は20世紀のクロアチアで著名な彫刻家・イワン・メストロヴィッチの作品。そこに1460年に作られた扉も見ることができます。
トラベルコより

しかしドゥブロヴニクは暑い。日差しが強いから半袖でも良いくらい。
そうしたところに、ジェラートらしき人形が立っているのを発見する。

気味が悪い。しかも、妙に腹が立つ。
ジェラートがジェラートを食っている。これは共食いなのか。
スライム同士が合体してキングスライムになるアレと同じか。
しかしキングスライムはまだかわいい。こいつは腹が立つ。
ドゥブロヴニクの旧市街に降り立ち、最初のwelcomマスコットがこんなぺろぺろ野郎だなんて。
それよりもうしろのお姉さんがかわいい。めちゃかわいい。
このぺろぺろジェラートなんて撮ってないで、お姉さんを撮れば良かった。なんたる失態…。

そんなことを思いながらも、しっかりとジェラートを頂きました。
そしてここのジェラートはめちゃうまかった。10kn.
ぺろぺろ恐るべし。

 13:30
ピレ門から出る6番バスに乗り、ラパッド地区へ。ホテルが多い地区なのだ。

 13:50
ホテルにチェックイン。
後から荷物が届く事を告げて、部屋で小休憩後、再び旧市街へ戻る。

 15:40
ビレ門をくぐり、遂に城壁の中へ突撃。
これがかのプラツァ通り。雰囲気が漂いに漂っている!

ドゥブロヴニク旧市街のメインストリートにあたり、通りの両側にはカフェや雑貨屋、土産屋などが軒を並べている。
ここの石畳がツルッツルで、夜になると煌き出す。白い石灰岩の敷石が大勢の人の往来に磨かれこうなったのだとか。

プラツァ通り

これはこの町の、規模においても価値においても最大の通りなのです。
プラッツァは、全長298メートル。1272年の法令による、街とそのメイン通りの最終的な計画に基づいて建設されました。バロック様式で統一されて建てられたこの通りに並ぶ建物と、扉の前に低い壁のある一階の商店のスペースは、価値の高い多くのゴシック、ルネサンス様式の建物が被害を受けた1667年の大地震のあと、修復されて今日の形になりました。プラッツァの建築様式は、ドゥブロヴニク共和国の困難な時代の商人の魂を、効果的に表現しています。
プラッツァは今日、商業と町の生活のあらゆる出来事の中心地です。
tzdubrovnikより

プラツァ通りに入りすぐ左手にあるフランシスコ会修道院。

ここには世界で3番目に古い薬局があり、門外不出の化粧品があるんだとか。
日本人女性客に人気だそうですよ。

フランシスコ会修道院

ピレ門から旧市街に入ってすぐ左手にある大きな修道院。13世紀に建てらえた最初の修道院は城壁の外にあったが、14世紀に城壁内に移された。オリジナルの建物は1667年の大地震で崩落しており、現在の建物のほとんどは震災後に再建されたもの。1991~92年の内戦で甚大な被害を受け、10年の歳月をかけて修復された。ロマネスク様式の美しい回廊や博物館、教会、2つの中庭から成り、回廊に面してある薬局はクロアチア最古、世界でも3番目に古い薬局として知られ、現在も営業している。中世から受け継がれるレシピに基づき、薬草をふんだんに使ったコスメやハーブティも購入できる。
JTBより

さて夕刻時で日が暮れてしまうので、明るい内に城壁に上りぐるりと市街を一周することに。近くのチケットセンターでチケットを購入。70kn.

ん?ちょっと待てよ。 1kn= ¥70 だから、¥4900 !?

何それ高すぎ!城壁観光だけで5000円てどんだけ!?
さっきのジェラートといい、バス代といい、クロアチア物価高すぎ!
インフレなの何なの。TOKYOより物価高いってどーゆーことよ。

うぬぬ、、城壁一周せずして終わる事もできず、清水の舞台から飛び降りてチケット購入。
クーナ(kn)が憎い…

 

城壁から望むプラツァ通り。石畳がまるで鏡面かのように、人々を反射している。
城壁の上は、外はアドレア海、中は旧市街かつそこに住んでいる人のスペースもある。
美しい…。夏のフェスティバル期間中には、城壁周辺でシェイクスピア作品の野外劇が行われるのだとか。
暮らしの風景もある。
バカンスの風景もある
港を描く人もいる
城壁において最も高い”ミンチェタ要塞”からの眺め。
箱庭的な感じ。ドイツのローテンブルク思い出したりする。
向こうに海が見えるのがまた良い眺めだ。赤い豚の島はどこだろう。
城壁をぐるりと一周して、プラツァ通りに戻る。
近くで見てもツルッツルでツヤッツヤ。小学校のころだったか、確か月に1度は生徒が教室をニスで塗る掃除があって、ニスを塗ると床がツヤツヤになるんだけど、そんな感じ。
いやニスじゃないよねプラツァ通りはうん。
日も落ちだして、街灯が灯り出す。それぞれ店の前にあるランプには、店名が書かれている。
ここは路地裏が多く、また坂道になっていてちょっとした迷路のよう。
奥に奥に入って行くと、店があったり人の生活があったり、なかなか楽しい。
 18:30
ブラブラして腹が減ってきた。
ピレ門前にあるオープンテラスの店に入り、夕食をとることに。メニューを見てみると、どれも100kn前後である。
ということは7000円相当
眼を凝らしてみてもそれは変わらない。
どうなってんだクロアチア。確かクロアチアはPDVという付加税がついていて税率25%だったはず。そうだとしても高すぎる。
kn怖い。クロアチア怖い。金持ちしかこの国への観光者はいないのか。
これが持つ者と持たざる者の違いか。

ともかく、もうこの先は質素に行くしかない。
レストランで食事なんかもはや出来ない。
今夜が最後の晩餐だ。嗚呼、麗しのアドレア海。その幸を頂くにもknの壁はあまりにも高い。
清水の舞台から本日2度目のジャンプをして料理を頂く事に。南無三。

食事をしながら、このご時世に円が弱いのかknが異常なのか話している内に、改めて為替を確認してみることに。
その結果、100knはおよそ¥1400弱であることが判明。1kn およそ¥14。
何をどう間違ったのか、1kn = ¥70 と、実際の5倍の金額換算をしていたことにようやく気付く。人間とは不思議なものです。
今まで窮屈な壁の内に閉じ込められていたと思っていたものが、己の幻想であることを知り、そうした壁は崩壊すると目の前に新しい世界が広がる。
まさにチェンジ・ザ・ワールド。
世界は色を取り戻し、全てが新しいものに見えてくる。
一つの思念が改まることにより、そうした新鮮な世界が内に入ってくる。不思議。

大いなる誤解が解けたことでknの呪縛からも解かれ、妙に強気になってくる。
そうするとお酒も美味しい。おかわりだってできてしまう。クロアチア万歳。
今まで飛ばんでも良い清水の舞台を飛びに飛び、一人絶望の淵に落ちて行く様を思い返すと、まさに阿房である。

相方と爆笑して愉快な食事を過ごしたところで(入った時は最後の晩餐だったのに!)、夜の旧市街をふらりと散歩。

広場でおっちゃんがインコを使って観光客と戯れている。
夜のプラツァ通り。路面の輝きが更に増していて綺麗。
なんて幻想的な光景だ
たっぷり夜の旧市街の雰囲気を堪能して、ホテルへ戻る。
旧市街外だって負けていない

ホテルに戻ると、嬉しいやつが待っていた。

会いたかったよバックパックちゃん!
どこへ行ってたんだい。鍵が一つ壊されとるし。
荷物についたタグに書かれた空港コードから、どうやらガイアナ共和国という国へ行ってたらしい。どこだ….調べてみると、どうやら南米の国だ。まだ行ったことないのに、どうやら先に南米大陸に上陸しやがった。
相方調べでガイアナは、物価は欧州並みの高さ、治安はアフリカ並みの悪さ、食事はアジア並みの美味さ、とのこと (当時調べ)
何それアジア行くわ。

ということで、knの誤解も解けて荷物も手元に戻り、やっと本来の姿に戻ったところで2日目は終了。

明日は次回は引き続きドゥブロヴニク観光のDay3。
いやーテンションが乱気流のように上下した1日だった。結果オーライ、良かった良かった。

自分の思考に向き合おう

日々忙しく過ごしていると、なかなか自分のことや今後のことを考える時間が持てない。そんなことありませんか?
あるいは、一人で悩んでいて、なかなか人には相談できない。
もし、そんな状況にあるのなら、ちょっとだけ立ち止まって考える時間を作ってみませんか。
なかなか人に言えない悩みがあるなら、まずは言葉にしてみませんか。
そのお手伝をします。対話の中から発見や納得が生まれることもあるんです。
立ち止まって、自分の思考に向き合ってみると、何かが見えてくるかもしれません。

一緒にその時間を作って見ませんか?

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