どうも自分には周りの目を気にしてしまう質がある。
相手の考えを予想した時、「こう考えた時に、これが必要だと思うだろう」という予想から行動することもあれば、予想の中に「こう思われているだろう」という推測をしたりもする。
そして「こう思われているだろう」と思う時は、大体ネガティブな推測をすることが多い気がする。それはおそらく、自分や役割に対する期待値と、その言動とのギャップを感じ取ってのことであり、言い換えると理想と現実とのギャップだ。
理想というと抽象的になってしまうが、例えばそれぞれが持っている「あるべき姿」のようなものがあり、そこと現実のムーブとのギャップがあり、それを推測したりする。
相手の目から自分を見て、自分の至らないところ、あるいはそうはできない現実的なところ、そういったことを感じ取ってしまう…というか妄想してしまう。
その時の自分の中に見られる感情を観察すると、相手を失望させたくないとか、嫌われたくない、とか、いわゆる「恐れ」の一種を観察する場面もある。
それによって、相手の意図を汲んで行動する…となると、よく言う「他人軸で動く」ということになり、自己肯定感は失われてしまうことになる。
そういったことを感じやすい、想像しやすい自分というものを受け止めつつ、自分はどう考えるか、どう動くか、ということに意識を向けるようにしている。感情に対する反応を観察し次につなげるのだ。
結局のところ自分の妄想も入り込んでいることも多いし、相手の考えは分からないので、気にしすぎないようにしている、というところだったりする。
そんなことをふと思った夜。