遺跡群を観光した翌日は、水上生活を垣間見るためにトンレサップ湖へ訪れる。
東南アジア最大の湖・トンレサップ湖は、乾季と雨季で大きさが変わり、水量が増加する雨季にはその面積は3倍以上に膨張するらしく、そこで暮らす人々は万単位で、100万人以上という情報もあるから驚きだ。
アンコールワット観光の拠点となる街・シェムリアップ。この街を南に約10km下ると、東南アジア最大の湖・トンレサップ湖があります。 この湖がもたらす豊かな恵みは、シェムリアップの人々はもちろんカンボジア全土の人々の生活を潤し、カンボジアの人々の母なる湖として大切にされています。
そんなトンレサップ湖は「伸縮する湖」とも呼ばれ、乾季と雨季とでその姿を大きく変えます。もちろん乾季でもその面積およそ2700平方kmと巨大で、日本最大の湖・琵琶湖の4倍の大きさがあるのですが、雨季にはその水量、面積ともに膨張し、時には1万6000平方キロになります。なんと岩手県よりも大きい面積の湖になってしまうのです。
変わるのは面積だけではありません。水深も大きく変化します。乾季には深さ1m前後ですが雨季には10m以上と、ぐっと深くなります。 このように、トンレサップ湖は季節によって姿を大きく変えるので、湖畔に家や集落を造ることはできず、人々はやがて湖上で生活するようになりました。湖面に浮く家に住み、集落を作り、生活のほとんどを水上で過ごす水上村を築いて、湖とともに暮らしています。
JTB より
水上で暮らしを営む世界。日本では考えられない光景だ。
自ら望んで暮らしている人もいれば、色々な事情で水上生活を余儀なくされている人もいるみたいで。
いま振り返りながら思うのは、生まれた場所が違うだけで、こんなにも生活環境は違うのか、ということ。事の大小はあると思うがそういうものを一旦置いておくと、何不自由することなく暮らせることに有難く思う一方で、この考えが傲慢とも思える。水上で暮らす人々が不幸だと言いたい訳ではないし、何不自由ない暮らしこそが幸せなのかと問われると、色々な意味での幸せがあるのだから一概にそうも言えないだろう。
例えば観光客にモノを売りにボートで近づいてきた親子。仮にその生活を捨てて日本で困らない程度の稼ぎと生活ができたら、それは幸せなのだろうか。
父親だけがこちらにくるのではなく、家族みんなでその生活ができたとして、でも全く生活様式は異なり文化も異なる。その違いやストレスで心身を壊してしまうかもしれないし、元の生活の方が結果的に良かったと思う場合もあるのかもしれない。あるいはそれでも日本の生活の方がマシだと言うのかもしれない。
いまここで言いたいのは、見かけ上で辛さとか苦しさとか、あるいは豊かさとか幸せとかを測ることって難しい。なぜならその人にしか分からないから。
だから、こういう光景を見て、苦しそうとか辛そうとかを、安易に押し付けてはいけないよな、と思う。
ただ、世界にはこうした暮らしをしている人がいることを、知る機会にはなるのだ。そういう場面であったと思う。
P.S.
カンボジアの巨大湖トンレサップ、水位の急落で危機にという記事があった。水位があがり生態系が変わり生活様式が維持できなくなる恐れがあるようだ…