トズールへ向けて出発。ひたすらロングドライブ。
そろそろ地理感をお伝えしておいた方が良さそうだ。チュニスやシディ・ブ・サイド、はチュニジアの北、地中海近く。
そこからケロアン経由で南西トズールへと向かっている。
(上記はJICAのレポートより引用)
既に周辺にはオリーブの木もなく、ただただ荒野が広がる景色。
昨日まで地中海近くで海が綺麗だったのに、この変わり様に驚く。
遠くに見える山脈が美しい。
ほとんど移動に時間を使ったのでトズールに着いたのは夕方。車に揺られ続け疲れた。
サハラ砂漠に近いこの地域には、チュニジアンブルーなんてかけらもない、全く別の顔をした土地だ。
トズール(Tozeur)は、チュニジア南部の都市。トズール県の県都である。サハラ砂漠の北の端に位置するオアシス都市で、古くからサハラ交易の要所として栄えた。現在もチュニジアのサハラ地域の一中心である。
1913年にチュニジア鉄道がここまで開通し、首都チュニスやスファックスなど北部沿岸や大都市と結ばれている。チュニジア最大の塩湖であるジェリド湖の北岸に位置し、その南にはサハラ砂漠が広がっている。
トズールには空港があり、サハラ観光ツアーやジェリド湖の観光の出発点となっている。それらを求めて、さらにはトズール自体の古い街並みや市場を目的に、ヨーロッパ諸国からの観光客が多く訪れる観光地となっている。
wikipediaより
ホテルに荷物を置いて外を歩いていると、観光用の馬車、カレーシュを見かける。
通り過ぎるカレーシュ乗りに挨拶したら、横につけてきた。ああ、そうか、乗るのかと勘違いするか…
全然乗る気はなくて、金持っていない事をアピールする。相場は12-10D(チュニジアン・ディナーリウ)程度のようなので、5Dしか持ってないというと、それでOKになってしまった。ありゃ。
この人、オハヨウゴザイマス、コンニチワ、アリガトウゴザイマスと、日本語を知っている。
口癖は、ヤバイネ。ヤバイネを連呼してくる。出川…とは違うか。誰が教えたんだ。
他にも英語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語なども知ってるというのだから、南部に来てもやはり同じ様にみんな多言語を扱う事が分かる。チュニジア人はほんと柔軟だ。
助手席に乗せてもらい、カレーシュに乗りながら街を見学。
南部までくると、チュニスとは違って、服装がぐっと保守的になる。
女性の肌の露出は随分少ない。
周辺には結構ホテルが建っており、日本人のよく利用するホテルだといって、ヤバイネホテルだと言ってくる。面白いな。
なんでも13ほどのホテルがあったが、いまは3つcloseされてしまったんだとか。
家族の話をすると、妻は5人いると言う!おお、さすがイスラム圏、一夫多妻制かぁ。
しかしこれは後にジョークだと知ることに。
さて突然だったが、夕飯は地元のショーが見られるというお店へ。
しかしまさかヨガフレイムを見るとは思いもしなかった。
その他にも黒衣装の男達が馬に乗りながら剣舞を披露したり、その後にドン・キホーテよろしくロバに跨った男がそれを真似して笑いをとったり。
ゾハイアと一緒にディナー。以外にも恋愛トークで盛り上がる。
その後モハメッドとも合流。
そういえばカレーシュに乗ってまわったことを話すと、モハメッドに注意されてしまった。(ちなみにチュニスで飲んだ時も注意された)
一人だということにもっと注意してくれと。サハラ周辺は貧しい人が多いから、危険があることを覚えておいてくれと釘をさされる。
そしてこの指摘は後日、少しだけ当たることになる。
カレーシュのガイドより、俺が明日もっとラブリーな時間を過ごさせてやる、と言う。ゴクリ…
ちなみに、カレーシュ乗りが5人妻がいると言っていたと話すと、それは無いと言われた。
なぜなら、チュニジアはイスラム圏ではあるものの、一夫一妻なのだそうだ。
(後で調べたところ、個人身分法により重婚を禁止、アラブ・イスラム諸国では初めて一夫多妻廃止をした国のようだ。)
一杯食わされた!
翌日は朝日鑑賞だ。