Day 5
〜インスタンブール散策〜
10:00
ファルクの友人アフメッドとホテル前で待ち合わせ。
……のはずが、時間になっても来ない。まぁトルコタイムかしら。
10:30
来ない。
まさかのすっぽかしか、、?
FBでファルクに連絡を取り確認してもらうと、もうそろそろ到着するとのこと。
11:00
ファルクが心配してくれて、何度かメッセージをくれた。
どんな出で立ちなのかと聞いたところ、「黒い」「でぶ」だそうだ。端的で分かりやすい。
そうこうしていると、ようやく黒いでぶ改めアフメッドと無事に会い、イスタンブールをガイドしてもうことに。
(ちなみに、アフメッドはデブと言うまで太ってはなく、例えるならくまのプーさん)
行きたいところはあるかと聞かれ、グランドバザールとアヤソフィア、ブルーモスク、地下宮殿に行きたい!と伝え、旧市街の散策は始まった。
尚、アフメッドは日本語が話せないので英語での会話になるのだが、カッパドキアにいるときは英語を話す必要性が低く日本語で会話できる場面が多かったので、久しぶりの英語だ、なんていう異国の地で不思議な感じに陥ったりしていた。
先ずはグランドバザールへ。
グランドバザールはオスマントルコ帝国時代から続く、世界最古かつ最大のデパートの一つともいわれているそうで、22の出入り口を持つアーケードの中に3000から4000もの店が連なる、巨大な市場になっている。
ファルクから高い、悪い、という事を聞いているので、どうしてもインチキくさいという先入観で見てしまうため、購買意欲はわかないものの、その店の多さや豊富な品々は見ていて面白い気もする。買わないけど。
グランバザールの雰囲気を堪能した次は、アヤソフィアに向かうのだが、暑さと乾きでによりアレ、を食べたくなった。そう、トルコと言えば、トルコアイス。
カッパドキアではどんなにトッピングしても5TLで済んでいたトルコアイスが、イスタンブール価格だと9TLと二倍に近い!そしてボリュームも小さければ、なんだかヤギ臭い!
2014年当時、1TLがおよそ50円なので、イスタンブール価格ではアイス一つ450円だ。日本と変わらない。
まあ都会価格なのだけど、ボッタクリに会った気分にもなってしまう。
とはいえトルコアイスを売る時特有のパフォーマンスを楽しむのであった。
ちなみに、2021年現在、1TLは12円だそうだ…
ところで一緒に回ってくれているアフメッドにただ働きさせている罪悪感もあって、アイスを奢ることにした。
するとどうだろう、先ほどまで無口だったアフメッドは、フランクに喋りかけてくれるようになったのだ。
さては甘いものが好きだな、プーさんよ。
12:00
アヤソフィア到着するも、チケットセンター前で長蛇の列。
ヤヴァイ。行列がヤヴァイ。
並ぶ気も失せる人の多さを見て、意気消沈する我々二人。
しかし、アフメッドはそれに気にもせずゲートへ進むとスタッフにIDカードを提示している。
どうやらガイドの公的ライセンスカードのようだ。
来い来いと言うので着いていくと、行列なんて関係なく、そのままチケット窓口先頭まで通してくれてチケットを購入し中に入れてくれた……。
やるなアフメッド!ただの黒いプーさんではないんだな!
ガイドという権力の効果を実感し、アフメッドのありがたさが二人の間でうなぎ登り状態。
行列をなす人達の横を通り抜けて先に行くのは罪悪感があると同時に軽快でもある。
そうしたラッキーがありつつ、遂にアヤソフィアの中へと入る。
キリストとイスラムの両方が共存する、正にイスタンブールの歴史の重みを感じさせる空間。
アヤソフィア
紀元330年にローマ皇帝コンスタンティヌス1世によって征服され、皇帝の名前からその名が付けられた街コンスタンティノープル(現イスタンブール)。後にキリスト教国家・東ローマ帝国の首都となるこの街に360年に完成したのが、アヤソフィアの前身となるキリスト教聖堂でした。その後、天災や反乱などによって破壊された聖堂は、537年にユスティニアヌス1世によって再建され、以来、ほぼ当時のままの姿を現在まで保ち続けています。
総主教座として長きにわたりキリスト教世界に君臨したアヤソフィアでしたが、その転機は15世紀半ばにやってきます。1453年、オスマントルコによってコンスタンティノープルが陥落すると、イスタンブールと改称された街はイスラム教で埋め尽くされ、アヤソフィアはキリスト教聖堂からイスラム教モスクへ改造されていったのです。
オスマン帝国時代には君主が毎週の金曜礼拝で訪れ、帝国内で最も高い格式を持つモスクとなったアヤソフィアでしたが、20世紀前半にトルコ共和国が誕生すると、建物はモスクから博物館へと姿を変えられ、一つの宗教に縛られていたこれまでとは全く異なる道を歩み始めたのでした。
travelbookより
イスラム礼拝の方角を示すミフラーブがあり、その頭上には聖母マリアのモザイク画があったり、アラビア語で書かれたイスラムの歴史上重要な人物の名前を書いたとされる文字盤の数々が周囲を囲んでいたり、2Fにはキリストのモザイク画があったりと、アヤソフィアならではの歴史とその交差を鑑賞することができた。唯一ここにしかない歴史の交差点だ。
アヤソフィアの内部を堪能し、中庭でちとお茶休憩。
なぜかアフメッドが払ってくれた。お茶をご馳走してくれるのは、イスラム的なおもてなしだ。ここは快く頂こう。
中にはは木陰が多く風もあるので、暑い日には良い休憩所になる。
そういえばアフメッドは昨日、日本人女性とイスタンブールで遊んでいたんだとファルクは言ってたな。
その話をしてみると、どうやら彼女ではないらしいが、気になっている様子。
いまもFBでメッセージをやり取りしているみたいで、彼女になんて返せばいいかな?なんてアドバイスを求めてくる。マイペースでシャイな男なんだなぁと思っていると、愛してるって日本語でなんて言うの?彼女へのメッセージに書いてよ、とか言ってくるので、ローマ字打ちで書いてあげたり。うーん、やっぱり大胆。
そんな談笑をしていると、隣の叔母様3人組に声をかけられる。
ハネムーンなんです、というと、あらいいわねー!というリアクション。
叔母様達はイタリアはミラノから来たみたい。おー奇遇。明後日からイタリア入りるよ。
ヴェネチアに行くのだと言うと、あそこは何でも高いわよー!ほんとよー!と言ってくる。
イタリア人でもそう言うくらい、やはりヴェネチアは別格なのだなぁ。。
話は変わり、僕らはチケットを買って入ったけど、叔母様達はミュージアムパスを持っている。
これ3日間定額でお得なのよ!買った方が良いわよ!と紹介してくれる。
そういえばガイドブックで見て存在は知っているけど、周りたい博物館は決まってるしかえって割高になるので別に大丈夫なんですよ。サンキュー。
しかし、横から異なる声が。
“えっ、まじで?何それ?”
まさかのアフメッドの声…。
どうやらアフメッド、イスタンブールにはあまり来たことがないようで、3回目なのだとか。
どおりでパシャパシャ写真を撮っているわけだ。
ガイドとして歴史や名所の知識はあるものの、イスタンブールを実際に周る経験は少ないみたい。なるほど、この散策もある意味彼の経験になるのだろう。
14:00
叔母様達と別れ、次はブルーモスクへ。
ご多分に漏れず、ここの行列も物凄い。
ここはモスクなので無料な分、ゲートやチケットセンターなどもない。
さてどうしようかなと思ったところ、アフメッドは列を監視しているスタッフにごにょごにょと話したあとに、列の途中に素知らぬ顔してふらりと割り込む。そして来い来いと呼び、僕らも列に割り込む形となるのだ。 ドウモスミマセン…..
心がチクチクとしながらまたもガイドの特権にぶら下がり、ブルーモスク内へと入っていく。
ちなみに女性は髪の毛を隠さなければいけないので、手持ちが無ければ無料のスカーフを入口で渡してくれる。そしてそれは綺麗なものなので、行かれる方はご安心を!
ブルーモスクは正式名をスルタンアフメト・モスクと呼び、世界で唯一6本のミナレットに囲まれた、美しい外観を持つモスクであり、美しさは外観だけでなく内観も素晴らしい。
アヤソフィアが歴史的な重厚感ある男性的な美しさとしたら、ブルーモスクは柔らかく女性的な美しさという印象を持つ。
スルタン・アフメト・ジャミィ(ブルー・モスク)
1616年、アメフト1世の命により建造されたスルタン・アフメト・ジャミィは、ブルー・モスクという名で広く知られています。ジャミィとは、トルコ語でモスクを意味します。ブルー・モスクという愛称は、壁、天井、柱などを覆うイズニックタイルの青の美しさから、その名が呼ばれるようになりました。
ブルーモスクは、世界のイスラム寺院・モスクでも珍しい6本のミナレット(尖塔)を有しています。この6本のミナレット建設には逸話が残っています。
当時、アフメト1世の命を受けた設計者が「アルトゥン(黄金)の塔を」と命じられたのを、「アルトゥ(6本)」と聞き違え6本になったといいます。世界中の数あるモスクでも、美しい6本のミナレットをもつモスクは、ブルーモスクだけです。
モスク内部には、巨大ドームを戴く礼拝堂があります。壁には、唐草模様にチューリップやユリなどの花模様が描かれたタイルが2万枚以上使用されています。このタイルをより一層際立たせているのが、約260枚のステンドグラスの小窓。このステンドグラスから差し込む太陽光が、タイルを照らし、色彩豊かな光のシャワーとなって礼拝堂に降り注いでいます。
外観、内観共に見る者を魅了する美しさは、「世界一美しいモスク」と称されています。
世界遺産オンラインガイドより
そういえばブルーモスクの中庭で、大きな男に日本語で声をかけられ、観光の仕方なんかを教えてくれた。
この人、ナイナイの岡村と東野浩治が旅する”旅猿”の番組で、イスタンブールのガイドを務めたんだと写真を見せてくる。ホントだ。
アフメッドを見て、彼は誰だ?どういう関係だ?と、心配なのか探ってるのかよく分からんが、僕らのガイドだよと言うと、アフメッドと何やら話して、彼についていけば大丈夫だよ、楽しんで、と言って別れた。
アフメッドはアフメッドで、あいつ誰なんだ?と聞いてくる。まぁそりゃそうだろう。俺も知らん。
トルコは色んな出会いがあって面白いもんだなぁ、としみじみ。
15:00
次はファルクおすすめの地下宮殿へ行くことにする。
毎度のことながらアフメッドの(ライセンスの)権力のお陰で長い行列をパスするも、緊急事態が発生。
現金が無い。
一人10TL、二人で20TL。 (ヾノ・∀・`)ナイナイ
アフメッドがディスカウントに挑戦してくれたみたいだけど、そうもいかない。
行列をパスした結果お金がなくて入れないという恥をかきながら、とりあえず外に出ることにする。ひえぇぇぇ。
とここで、アヤソフィアから度々電話をしていたアフメッドであるが、そろそろ帰りのバスの時間が迫っているらしい。
実は彼、住まいはサフランボルンという街で、そこも世界遺産の街ではあるのだが、帰りの長距離バスが満席でなかなか取れずにいた。
ようやく、立ちっぱではあるがチケットが取れたようで、ここで別れることになった。
ここまで良くしてくれたから、食事でもご馳走したかったのだが、そうした時間は無かったようだ…。
唐突の別れを惜しみつつ、次回トルコに来ることがあれば、地元であるサフランボルンを案内してもらう約束をして、アフメッドと別れる。
ありがとうアフメッド!
一日歩き回っていたことで妻も休憩したいということで、一旦ホテルに戻り横になることに。
その途中、目の前の少年が犬と対峙し、犬が動いた瞬間少年が悲鳴をあげて振り向きざまにダッシュした。
振り向きざまに嫁とあわや正面衝突しそうになるのだが、かろうじて少年は横にさけつつ、妻の片パイを掴んで逃げたそうだ。やるな少年。しかしその手にしたものの大きさはトルコ美女のそれと比べればとてm(ry
19:30
横になっているといつのまにか寝てしまっていた。
夕食はどうしようかと考えたとき、そういえば鯖サンド食べていないなと思い当たりエミノミュ広場へ。
トルコの食事はあまり口に合わず妻も食傷気味。
ただし鯖サンドはうまい。
妻はトルコ料理にうんざりしているので、帰りにあったマックとスタバで購入しホテルで食べることに。
22:30
ホテル着。軽い熱中症もあるのか妻はグロッキー。
今日は早めに寝ることに。
そんなに期待していなかったアフメッドツアー、終わってみれば有難いことの連続であった。
明日は一日フリー。 新市街にまだ足を踏み入れてないので、新市街に行こうかな。